2015年04月08日

ドイツ人僧侶の「ここがヘンだよ!日本の仏教」


※当ブログは、liliki.netへ移転しました。
しばらくすると、自動的に新ブログへ転送します。




以前、「日本の仏教はなぜ儲かるのか?|お寺の収支報告書(書評)」という記事で、日本の仏教がいかに特殊か触れました。


そんな日本の仏教について、外国人はどう思っているのか。気になっていたところ、面白い本を見つけました。
 ↓


迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教


著者は、ドイツ人のお坊さん。それも日本で出家した方です。以下、本の中で特に印象に残った部分をご紹介します♪



「迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教」書評 目次



1、本当にここが、仏教の本場なのか…!?
2、修行道場でのいじめ
3、お坊さんになる理由がおかしい



1、本当にここが、仏教の本場なのか…!?






幼いころに母を亡くし、悩み多き少年時代を過ごした著者は、「お坊さんになって悟りたい!」という希望を持って日本を訪れます。


ところが現実の日本は、想像と違いました。まず、毎日坐禅のできるお寺がないのです。




なぜだ!?ドイツにだって、毎日坐禅のできる「禅センター」があったのに…なぜ日本にはないのだ!?…ていうか、そもそも日本人ってみんな仏教に興味なくない!?何これ…日本って、仏教の本場じゃなかったの!?


そう著者は戸惑います。


『なぜ、かくも日本人は仏教に無関心なのか――。
当時は不思議でなりませんでしたが、今から思えば、それも分かるような気がします。

日本のお坊さんは、もはや一般の人に仏教を広める「聖職」にあらず、単にお寺の管理人兼葬式法要を執り行うサービス業に成り下がってしまっています。

日本の若い人が既成仏教に救いを求めないのも、不思議でも何でもなく、当然のことです。それは、若い日本人が自分の生き方に悩み苦しんでいないからではなく、お坊さんが悩み苦しみを超えた生き方を提唱していないからです。』





また著者は、日本に毎日坐禅のできるお寺が少ない理由をこう分析しています。

『限定的な参禅会などを開いていても、日を問わず修行に参加できるお寺は皆無に等しい。その理由は、外部の参加者が住職をはじめとする僧侶の修行の妨げになるからということではなく、そもそもお寺で修行しているお坊さんがいないからです。現代日本のお坊さんの多くは、仏教を自らの生きる力と考えずに、「葬式法要に限定した一種のサービス産業」と考えているようです。』




2、修行道場でのいじめ





著者はあるとき、臨済宗の有名なお寺で修行することになりました。そこでは上下関係が厳しく、先輩のイジメもひどいものでした。


『「裸でムーンウォークをせぇ!」
ある日の庭掃除の時でした。そう命ぜられた新米のキチさんは、作務衣を脱ぎマイケル・ジャクソンになりきりました。「ノッてきたな、お前の境地が深まってきたぞ」と、ゲンさんはキチさんを褒め、使い捨てカメラでパチパチと写真を撮り出しました。その光景を観光客が不思議な目で見ているのですが、そんなことに構う様子はありません。』



その他にも、「倒れるまでこの杉の木に頭をぶつけろ!」と命令されたり、皮膚が変色して腫れ上がるまで、警策*で肩を叩かれる話など、本著にはリアルなお寺のイジメ問題が書かれています。




*警策:坐禅のとき、修行者の肩を打つ棒。



これらは全て、先輩から後輩への愛のムチ…なんてことはなく、ただのストレス発散です。いじめられた人が先輩になると、今度は後輩相手にいじめをする…その繰り返しなのでしょう。




3、お坊さんになる理由がおかしい





そもそも仏教を志す人がイジメをするなんて、おかしな話ですよね。。「誰にでも思いやりを持って接しなさい」というのが仏教の教えでしょうに…。


でも、当時そのお寺で修行していた人たちは、仏教的な生き方をしたいというより、「修行が終われば、一生、檀家に拝まれながら暮らせる」と思っている人が多かったようです。





そもそも日本のお坊さんはお寺に生まれ、跡を継ぐ人が多いのです。著者が自ら進んで仏門に入ったと言うと、他の僧侶からは「そうか、お前は自分のために修行しているのか。えらいな。まるでお釈迦さまみたいだな」と不思議がられたそうです。著者には、これが理解できません。


世襲が出家の理由となる方が、私に言わせるとおかしいのです。在家として生まれ、現実生活の中でいろいろな気づきを重ねてから、自ら発願し出家するのが本来の仏教の在り方です。お寺に生まれて、気がついたらお坊さんの格好をして、父親を「師匠」と呼ぶなんて、私からすると大いなる茶番としか思えません。仏門と家業を混同しているだけで、それは元来の出家の在り方とは違うのではないでしょうか。』






長い歴史を経ることで、日本の仏教は、本来の仏教から大きくかけ離れてしまったようです。たしかに現状では、お寺を継続させていくため、葬祭ビジネスに頼らざるをえないのかもしれません。でも個人的には、こういうイジメをする人たちにお経をあげてもらいたくないなぁ…と思いました。
(もちろん、日本にも徳の高いお坊さんは、たくさんいるんでしょうが…)



著者は幾度となく日本仏教に失望しますが、それでも諦めず、壁を乗り越えて行きました。彼は現在、小さな山寺で「檀家ゼロ、自給自足、坐禅三昧」の修行生活をおくっているそうです。



最後に



この他にも

・日本人と欧米人の「仕事観」の違い
・坐禅をして、何になるのか?
・軍隊よりも過酷な修行生活(と、それをうまくサボっている先輩たち)の話

など、面白い内容が盛りだくさんでした。


特に、著者がどのような気づきを経て、どうやって自分の道を見つけていくのか…は、必見です!日本人が忘れてしまった「仏教の本質」について考えさせられる一冊でした^^

 ↓





人気ブログランキングへ


スポンサードリンク



Facebookでは当ブログの最新情報や、国内・海外旅行・登山情報・旅行のコツ等をいち早くお知らせしています。
良かったら「いいね!」して、一緒に旅行気分を味わってくださいね^^♪
 ↓ ↓ ↓



Twitterでもいろいろつぶやいてます。
 ↓



インスタグラムは、最近始めました。
 ↓

Instagram

タグ:仏教 お寺 書評



posted by りりー at 20:00 | コメント(2) | 本のまとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも拝見させていただいております。貴重な情報ありがとうございます!
Posted by ジェネリック医薬品格安通販まとめ at 2015年04月22日 13:10
> ジェネリック… さん

いつも見てくださって、ありがとうございます!
これからもどうぞよろしくお願いします^^
Posted by りりー at 2015年04月23日 21:26
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※コンピューターによる広告スパムを防ぐため、コメントは承認制となっています。(コメントが表示されるまでに、少し時間がかかることがあります)
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。